こないだの

友達が兄弟と3人で暮らすマンション?アパート?に
もう1人の友達とお邪魔して一泊させてもらう。
新生活の始まりが近い私は
友達の部屋や台所、トイレ、お風呂場を見ては逐一質問、そして「ほう、ここはこうするのか」と1人納得。

最近買ったというダブルベッドに3人で寝た。
ソファが「でっかくなっちゃった!!」ような形状のそのダブルベッドは
3人で寝ても結構余裕で
持ち主はその事実にいたく満足した模様。

「いや、ていうかあたし歯軋りすごいから2人とも眠れないよ」
と事前に申告しておいたんだけど
「平気だよあたしもいびきすごいもん」
「あたしも中々起きないよ」
と旧友のあたたかい反応。
安心したのか2人の疲れ&熟睡加減が勝ったのか
朝聞いてみても
「わかんないあたし寝てたから」
「わかんなかった」。
後で、歯軋りって毎日するの?と聞かれ
そういえば歯軋りするってことが分かる前までは
同じ人のとこで寝てても何もなかったことを思い出した。
きっと前からしてて、ひどくなったとかそういうことなんだろうなと思う。

前日の強風と積雪が嘘のように
朝起きたらとてもいいお天気で
1人を仕事に送り出した後、
家主(の1人)と2人でベランダに出た。
友達がコーヒーメーカーで淹れてくれたコーヒーのマグを片手に
日向であったまったサンダルをつっかけて煙草を吸う。
GWが過ぎたあたり、アジア圏のエステとかできる場所で贅沢したいねって話した。

気がつけば県内に残る/戻ってきた友達はみんな車持ちで
たまに帰って来る友達も家族の車を借りて遊びに連れて行ってくれる。
ここではそれが当たり前。
だけど車のキーを持つ友達がいつもとても大人に見える。
キーでピコピコってロックを解除する仕草にも憧れる。
ハンドルを握って運転する、逆光を浴びた友達の横顔はかっこよく見える。

美容師の友達は、会って知ったけど
去年の冬には美容室を辞めていた。
高校を卒業して美容室に入り、働きながら美容師を目指していた友達は
最後に勤めていた美容室を辞める前にやっと免許が取れたと言っていた。
私を家に送り届ける途中に電話があって
「今日お兄ちゃん休みだから髪切ってって言われてたんだー。忘れてた」
と言った。
家族全員の髪を切っているらしい。
「わーいいねーそういうの。やっぱ手に職があると・・」
と感動していると
「まっ、美容室もう辞めたけどねー」
と言って笑った。
やっぱりみんな大人になったって感じだぜ、と少し思った。

高校の時も電車通学で、
2人に会う時私は電車でその場所まで行ったんだけど
通学時に使っていたのと同じ路線だったから
電車に乗っている間感慨深かった。
第一この電車は、ほとんどが高校の友達に会う時にしか使わない。
あの電車と路線と見える景色が高校に繋がっていて、その時の友達と繋がっているもんだから
どうしてもいつもそういう感傷的な気分になる。
あと一押しなにかあれば、すぐ泣けるって位置にある。
そう思ってたら、今回はすぐ寝ちゃったけど。
大学に通うのに使ってた路線とか
駅から家に帰る道とか
うちのすぐ横の道とかも
数年後はこうやって懐かしさと感傷が入り乱れた気持ちを向けるようになるのかしら。
たとえば3年後、私は何をやってるんだか。
どこにいるんだろう。
早々に実家に戻ってきているかもしれないし
どこにも行かずまだ実家にいる可能性だってまだあるし。
予定やたしかな頼りは何もないから
想像も全然つかない。
でも驚くようなことは何もない気がする。
今日バイトに向かう途中チャリを走らせていて
風で取れてきたマフラーを戻しながらふと
私の人生ってひょっとしてすんげーつまんないんじゃ?
と思ったら
そのあとフヨフヨした感じで「じゃ人生をおもしろいものにするためには何が必要なんだ?」と考えていた。
フヨフヨしていたので何もアイディアは浮かばなかったけど
きっとそういう質問を思いつく年上の人にしたら
「それは仕事でしょ」
とかいう想像上の答えが脳内ダイアログで返ってきて
違う違う、そうじゃない・・
と私が反論していた。
反論っていうか、聞いてることと答えてることが違うんだ。
たぶん私にはこういうことが多い。
私の質問する次元と、誰かが答える次元が違ってて
私の言う次元と、誰かが聞く次元が違ってる。
誰かのレベルが低いとかそういうんじゃない。
言語レベルで違うようなもので
ああそう言ったら私がうまく翻訳できてないってことなのかもしれないけど、それも違う。
誰かの答えも理解できるけど
私はそういう答えが返ってくるところを聞いてるわけじゃない。
かと言って自分が求めてる確からしい答えもまったくわからない。
質問しておいて、自分でも何を聞いてるんだかわかんないんだろうよ。
高校の時の先生がノートに書いた言葉。
答えが見つからなくてもいいから、そこに固執しすぎないこと。
疑問と質問を持ち続けること。
常に自分に聞き続けること。
そんなような言葉。
最近すべてがめんどくさい。
色々がっかりした。色々もういいやって思った。
もう幕下ろしていいんじゃない?っていう
もうテレビ電源切ってよくない?っていう
一体なにに失望してなにを見限ったのか
自分か
悩みを相談してくる人には
日記書けよって言いたくなる。
でも結構いい方法だと思う。
自慢したい人にも。
でも人は人に相談する。
全然関係ないけど携帯の買い物サイトで最近プッシュされている
脱毛スプレーが気になる。
絶対効果ないよ。
そんなわけで昨日クレジット会社に脱毛費の分割払いを依頼した。
服屋でスカートやショーパンなるもの(この名称恥ずかしい)を見る度
私だって来年は毛の処理に煩わされずこういうのめいっぱい穿いちゃうもんね!と思っている。
外出着がスカートでなくったって
ワンピースの部屋着でくつろぐ自分の脚に毛がなくなっていればそれで上機嫌になれるもんなんだよきっと。