美人について

最近、つくづく美人はいいなあと思う。
賛美の言葉でもあるし、単に「ああなりたかった」というぼやきでもある。

どんなに色々頑張っても、美人にはなれないものね。
美人ぽく見せることは大いに可能だろうが。
美人の定義づけが必要になってきそうなところで、
ふと美人の割合ってどれくらいなのかと
問題かぶせで思った。

昭和あたりの美人ってほんとに「美人!」って感じがするよね。
オーラがあるのかね。
まあ会ったわけでもないし
江原でもないのでよくわからないけど。
写真とか映像、化粧の技術が今より粗かったがために
より美人に、俗世離れして見える部分もあるんだろうけど。

今は美人より可愛い人のほうが多いと思う。
よくコメンテーターとか芸能レポーター
「今は昔より簡単にアイドルになれるからね」
と言っていた。
メディアでもてはやされる人と、一般人の境界が薄くなってきたことは
一般人が頑張った(頑張れる余裕がでてきた)からなのか。
人の容姿に関する俗っぽい美意識が寛容になったのか。

前に「なぜ美人だけが得をするのか」みたいな題の本を読んだけどすごいおもしろかったんだよね。
アイデンティティの本もそうだけど、
ああいう、そこかしこに付箋!ていう本こそ買って自分のそばに置いておくべきなんだろう。
どうしても
DVDでもCDでも本でも
中身に見た目が伴っていないと購入意欲が涌かない。
見た目だけよくても、中身がなければ「おしゃれ映画ね」ってことになる。

人に対しては、中身を要求するのになあ。
付き合う人ということだけど。
私は美人をモノとして見ている節があるのかもしらん。
付き合う前の美人には、「あんたはそれだけでいい」と思っていても
付き合い出すと「なんか居心地悪いなあ」なんて思い始める。
付き合うことで人を認識し始める。

居心地の悪い美人、て最高だけど
実際やると疲れるよなって思ったところで
居心地の悪い可愛い人しかしらないことに気づいた。
ああ、そういうのならよく遭遇するわ。
と、居心地の悪い醜女が思いました。
おかめ。
そういや高校の時携帯のアドレスをokachimenkoとokamechinkoのどっちにするかで悩んだな。
どっちかは既に使用されていた気がする。