昨日深夜、晴れてビデオ屋の会員になりました。
(こないだ保険証が届いた)
友達が勤める会社のビデオ屋
うちの近所勤務(徒歩5分以下)だったらよかったのに・・と会う度ため息を漏らす。
ということで久々の映画鑑賞。
一ヶ月くらい観てないんじゃないだろうか。


ぼくを葬る [DVD]

ぼくを葬る [DVD]

まぼろし8人の女たちスイミング・プールフランソワ・オゾン監督。
初めて観たのは8人の女たちで、それはあんまりグッとくるところがなかったんだけど
まぼろしを観た時にはもうグッどころかグサグサきていた。
まぼろしスイミング・プールの両作品で主演を務めたのがシャーロット・ランプリング
私はどちらを先に観たのか忘れてしまったけど
どちらを先に観てもランプリングの変貌ぶりには驚かされると思う。
歳が顔に表れるとかではなく、役を動きや口ぶりだけでなく表情の作り方にまで浸透させている点に。
じょ、女優・・!
しかしとにかくまぼろしはとてもいい映画でした。好きです。
なのでぼくを葬る(ほうむる、ではなくおくる、というルビがついている。でもほうむる、で変換しても送り仮名直さなくていいんだね・・いい仕事したね)も念願叶っての鑑賞でした。


これにはランプリングは出演していなくて
私がこれまで観たオゾン作品の中でも女優が少なかった映画。
しかし主人公の祖母役のキャラクターがまたいいこといいこと・・
若くして夫を亡くし、そのつらさに耐えられず、幼い息子(=主人公の父親)を置いて家を出たまま1人森の近くの家で暮らす。
就寝前に服用するビタミン剤の数は途方もないけど、背筋がしゃんとしていて、孫の訪問に応じる時、孫を家の外まで送る時にもちゃんと髪をセットしてチーク・口紅を含めた化粧を施し、指輪やネックレス、スカーフを忘れずにきれいな格好をしている。
眠れない孫が部屋に来た時には、
「お話する?」
「いや、一緒に寝たい」
「私は裸で眠るのよ」
・・かっこいい・・!!
そして眠る時にも紫がかった暗い色のパールのネックレスをつけたままでした。
パジャマが、大きめの一粒パールのネックレスか・・


主人公をもてなす夕食を作っている時には、2人ではしゃぐこともなく、余命宣告を受けている孫の近況に驚いたり、沈み込むこともなく一定のトーンを保って話を続ける。
瓶のふたが開けられないと、自然に「開けて」という命令ともお願いともとれない言葉とともにその瓶を孫に渡す。
進まない食事の後、孫が煙草に火を点ける。
さっきの瓶を渡した時のような、冷たさと親しみと女らしさが溶け合って自然さになった仕草と表情で「私にも一本」と言う。


いやあまとまらないけど素敵なおばあちゃんでした。
オゾンがゲイと公言しているかしていないか忘れたけど、ゲイの芸術家は大体において女性を表現する(撮る、描く、etc)のに長けていると評されますね。
別にゲイだからってわけではなく、ただの評価前の情報がそうさせているように思うが。
でもゲイの人が女性という存在についてどういう観念や感情を持っているのかについては気になる。
たとえば友達のように思っている人もいるし、下卑たものだと思っている人もいる。
でもどれもそういう体を保っているだけなのかもしれない。
極端に言って、女性の体についてどう、何を思うのか知りたい。
以前ゼミの先生と他の学生と話している時、1人の男子学生が
「なんで昔から女性の裸体を描いたり彫ったりするんでしょうね」
と口にした。
先生は
「それはさ、やっぱり女の人の体がきれいだからじゃない。
 みんな女性の体は美しいと思うもの」
と答えた。
へえ、と女の私は思った。


終盤、買ったばかりの水着を着て砂浜から海へ向かう主人公の後ろ姿は、それまでのファッション業界に携わる人間の洗練された感じや、家族・恋人と接する時の気の抜けた風がない。
それまで長袖のニットやカットソー、カーキのコートばかり着ていた主人公が袖どころか胴を覆うものもない格好になっている。
序盤や中盤のベッドシーンで見せていた、暖色の照明の下にあった裸と同じものとは思えないほどに青に近い白い肌に加え
膝下の細さ、人工の明かりよりはるかに毒がありそうな眩しい太陽を見上げる眉と目を見ると
主人公の病態を思わせた。
そうしたやせ細って青白い主人公は、海辺でひどく浮いている。
薄い黄色の砂に、色とりどりの水着を着た若いカップルやグループ、家族。
他の皆が楽しそうにはしゃいだりサンクリームを塗り合う中、主人公は海から上がって1人寒そうに膝を立てて座り、煙草を吸う。
最初はその姿が不自然で、不健康で、とにかく周りから浮いて孤独なように見えたけど
周りから孤立することで「ぼくを葬る」というタイトルについて考えが移った。
序盤から出てきた幼い頃の自分の姿も、それに繋がった。
そしてあの素敵なかっこいいおばあちゃん。
家族にも、恋人にも話せない病気のことを、おばあちゃんだけには自然に軽く告げる。
おばあちゃんは
「なぜ私に言うの?」
と聞く。
ロマン(主人公)は
「僕達は似ているから」
と言う。
原題の意味はおぼろげにしかわからないけど、
死ぬということはほかでもない自分と対峙する好機なのかしら、と思った。
ぼくを葬る、の主語はきっと「ぼく」なんだろうと思う。


はやくエンジェルが観たいですよ。