冷凍しておいたカレーを解凍したら半端ない時間のかかり様と多さ。
まだ硬ーわ、と潰したのは実はジャガイモだったかもしれない。


請求書在中のハンコを押して
宛名を書いた社名入りの封筒。
ビルの出入り口で煙草を吸いながら宛名書きを見ていて
他の人が書いたそれと照らし合わせて
私の字は頼りないというかもの悲しげだということに気付いた。


字を初めて教えてくれた人は初老の女の先生だった。
小学校1年の時の担任の先生で、佐藤先生と言う。
自転車通勤で、先生が自転車に乗る時、片足だけペダルに乗せてすーっと進み、その後脚をまたいでサドルに乗る、という仕草がとても大人に見えた。
私はあれをやろうとすると転びそうになる。


佐藤先生は字が上手で、いい点のテストの答案には商標登録されたように特徴をとらえて簡略化された梅やコアラの絵をつけてくれた。
100点だとコアラの背中に子供のコアラの絵がつく。
私は梅もコアラも真似して描いた。今でも描ける。


字が上手な先生に教わったからか、ひらがなのドリルが好きだった。
字を書くのも好きだった。
そのお陰か今でも字は褒められる。
だけどきれいな字を書くのは疲れる。
昔、板書するノートの1ページでも1部分でも気に入らないと破って書き直した。
算数や数学は板書が少ないのでノートの進みが遅く、数字は書いても書き甲斐がないので、その他様々な唯一の「数字と計算が苦手」という理由により嫌いだった。
ノートに1ページでも気に入らない部分があると破る癖はなかなか治らず、絵を描くノートでも同じだった。
破りすぎて5枚くらいしか残らなかったノートが何冊もある。
かと言って1枚気に入ったページが仕上がると、次のページで失敗するのではないかと怖くて中々書き出せなかった。
その癖を通り抜けて、昔はバカにしていた「男子の汚い字」に今はものすごく魅力を感じる。
一生懸命書いた、汚いかもしれないが一生懸命書いた、という感じがいい。
一生懸命、一定の力と意気込みで字を書き続けていると私はどうでもよくなってくるので、その一生懸命さが羨ましい。
字以外でも、一生懸命頑張って今なにかをしている、という人を見たり話を聞いたりすると涙ぐんでくるくらい感情が高ぶる。
羨ましい、私にはできない、という感情。
ヘタクソな字を私も書きたい、と思うがヘタクソにはうまいより一定の形がないので難しい。
私のヘタクソな字は「男子の汚い字」にあるリズムがなく、
やる気のない字になっている。
やる気のない字でも、それがその人の本当の字ならいい
でも私がやると本当にただのやる気がない字になってしまう。


そういうわけで私には外面と家での顔があるように
表向きの字と自分にしか読めない字、その中間の字がある。
表向きの字にも暗い感じが残っていることに今日気付き少しショックだった。
貧弱なんだな印象が
もっと太いボールペンを使おう。


明日実家に帰ろうかと思う。