東電OL殺人事件

東電OL殺人事件

グロテスク

グロテスク

駅前に図書館があるので便利だが
いかんせん図書館というのはハードカバーばかりで
一気に5冊以上借りようものなら米袋でも持ち帰ろうかという具合に。
図書館の単行本は剥き出しなので電車の中でも気まずい。
ノンフィクションの方を読んでいる時、下でシートに座っている60代くらいの女性にジロジロ、ニヤリ、という感じで本の背を見つめられた。まあ見ればいいよ。


ノンフィクションの方は途中から結構パラパラーっと流した。
章の最後に、次の章に繋げるような、かつそれまでの章から少し飛躍した文章が並ぶ、
やたらと「偶然に思えない」連想ゲームがある、
などお決まりが多くて退屈だった。
この退屈さに加え、欺瞞に見えてしまう程の独善な口ぶりがたまらなかった。
自分の書く文章も上に挙げたような特徴を呈しているからなんだろうな。
とまあそんなところへ昼ドラでやったら視聴率を稼ぎそうなフィクションを交えたので、ちょうどよかったかなという感じ。


美女や美少女、美少年、美青年、とにかくなんでもいいから美形(ってこの言葉いまやあまり聞かないね)が出てくるのって生活はもちろん、小説でも映画でもなんでも楽しい。
この小説は、ほぼ全編(ていうか「ほぼ」なしか?)登場人物の手記で綴られているので、それも楽しい。
いやあ、人の日記っておもしろいんだよね。
主人公とその後彼女の妹が通うことになった高校は、男女分かれてのクラス編成になっている。
さらに私立でほぼエスカレーター式のおぼっちゃま・おじょうさま学園ということで
自分の女子校時代を思い出した。
努力家で大きい会社にエリート総合職として入社したけどその後立ちんぼにまで成り果てた和恵みたいな子、
賢くて、いつも涼しい顔をしているけど周囲から浮くこともなく打ち解けられるミツルみたいな子、
あー、いたいたそういう子、って感覚。
中学からその場所を知っていた、もうそこに住み慣れてる内部生の雰囲気も懐かしい。
私は幸運なことに、いじめの現場というか修羅場をそこまで見てきたことがなく
更に衝突が生まれやすい、中高ほぼ一貫の私立女子校という環境に身を置いていたにも関わらず
あの学科であの学年というのは実になごやかな高校生活を許してくれた。
だからこの小説の中の昼ドラっぽさin女子校。自体に親近感はない。
でもこのジメジメした感じ、懐かしい。
自分のテリトリーでは起こっていなくても、遠くから吹いてくる風がはらんだ冷たい湿気で「あ、どこかで雨が降ったな」って分かるような感覚。
冷たい雨を通ってきた風は気持ちいいけど、
向かいの教室や階下の学科から立ち昇る女子高生のジットリした生活
の臭いは爽快でも可憐でもない。
だけど、なにか感じる。見ていなくてもなにか察するところがある。それが懐かしい。


私は底意地が悪く、諦めがいいと見せかけて根に持つタイプなので、主人公の・・あれ、名前が思い出せない。生物の先生みたいなことしちゃった。彼女には「おいおい」と思いつつ感情移入して
ミツルを見れば「かっこいいなあ、こうなりたかったわあ」と思った。
和恵に対してはやはり仲良くなれない臭いをこれでもかというほど嗅ぎ取ってマスクを手に取るほどだけど
あー、わからんでもない。という気持ちが。
ヒヤッとしたのは、もう完全に摂食障害になり、精神にも異常を来たし始めた頃の和恵の独り言で「え、だって痩せたら素敵になるのよ。誰かそう言ってたんじゃなかったっけ。痩せたら可愛いよって、誰かが。」みたいな言葉。
思い込みというか思考が、とてつもなく女女していて。
思い込みが強いのって女に多いと思ってるんだけど
これはなにも摂食障害だけでなく、
カールさせた薄い前髪にソバージュ、フューシャピンクの口紅、肌はほぼすっぴん、声は甲高く笑顔は思いっきり、みたいな中年女性を見ても思う。
昔なにかで誰かが「女は、自分が一番可愛かった時代の服装や化粧から移行しない」というようなことを言っているか書いているのを聞いたか読んだかしたけど
それは本当にそうだと思う。
かと言って、あんまり進化して中年になって娘と同じダメージデニムにギャル服店のTシャツとか着ててもものかなしいものだけど。


なんかどんどんつまらない文になっていくな。
「グロテスク」ではちょくちょく電車内でもプッとする笑いに刺されたけども
一番のヒットは「百合雄」だった。
百合雄って・・・百合雄って・・もうだめ。


そういえばタリーズに置いてある雑誌を読んでいた時、
モテをテーマにしたエッセイ的なものがいくつか載っていて
その中に著者が台湾かどこかのエステに行った時とんでもない美男子に出会ったことが書いてあった。
この美男子、盲目らしく、それを知った著者はまさにこの小説の中の記述と同じ「こんなに美しいのに、彼はその美しさを自分の目で確かめることができない」という表現をしていた。
それはその美男子の美しさを更に高めることになるのよね。
主人公(いまだ名前失念)がユリコの「怪物的」美しさを綿々とうらめしく綴る中で、ユリコは外面に欠点がなく完璧すぎると言い、欠点が人に魅力を生むと言っていたけど。


全体に桐野夏生は楽しんでこの小説を書いていたように思います。
私も楽しませて頂きました。
ごちそうさまでした。


今夜、すべてのバーで

今夜、すべてのバーで

会社の人が読んでいて、ちょっと読んだらおもしろそうだったので図書館で。
上の二冊が右上から左下までギッシリ活字行列だったので
あんまりすっきりした文字の並びにあっさり読み終えてしまいました。
期待通りおもしろかった。
中島らもは、中学生の時に人体模型を読んだくらいで、しかもその内容全然覚えてない。
らも自身に関してもアル中で大麻解放を唱え、酔って階段から落ちて比較的最近死んだ、くらいのことしか知らなかった。
でもwikiで見てみてもそれくらいのことしか書いてなかった。
動いている映像が見てみたいので今度探してみようと思う。
花村萬月の鼻持ちならなさがいい感じに希釈されたという印象がある。
なんか、文学青年だけど悪いこともいっぱいやった、時々キザな言葉が出ちゃう、みたいな?そういう文章書く人っているじゃない。
萬月はキザすぎるというか、なんというか。
ていうか2人は比較するもんじゃないと思うが。うまく言えない。


読む前から、スーパーサイズミーを連想していたけど、読み進めてみてもそうだった。
スーパーサイズミーを観る前、私は当時大好きだったマック(今も好きだけどまずいマックもあるんだと知ってからは、そして体のことを少し考えるようになってからは、大好きではない)を、「うわ、これ観たらもう食べられなくなっちゃうんじゃない?」なんて恐れつつ嬉々としていたが
観終わる頃には「マック食べたい」と思っていた。
私はとても無神経なのを忘れていた。
理科の授業で眼球の構造を事細かに教師が説明する中、
テリー伊藤爆笑問題の深夜番組で、佐川一政をゲストに迎え当時の事件の一抹を映像を交えながら聞くという録画ビデオをクラスで鑑賞した時、
口元を押さえて教室を飛び出したのは私じゃない別の女の子達なんだった。


いや、この本はそんなグロテスクなことは書いてないんだけど
酒はやめたほうがいい、というスローガンの下書いてあるわけじゃないんだけど(たぶん)
でも読んで一杯呷りたくなった。


これ、小説っぽくないけどエッセイぽくもない。
絶妙な感じでいい。
タイトルもいい。
ちょっとブコウスキーを引っ張り出そうかな、
参考文献に載ってて私も持ってる「異常の心理学」読み直そうかな、
と思った。

「酔うということは、体が夢を見ることだ。」
酩文。


らもというペンネームはどこから来たのか知りたい。
少女マンガの主人公の名前みたいなのに、
こんなオヤジの名前だなんて。

**

無声映画俳優の名前からもじったらしい。
ええーーー