内緒話

猫は死期が近づくと飼い主や住処から遠いところへ行くと言う。
飼っていた猫は二三日でいきなり調子が悪くなり
そのままあっけなく死んでしまったのだけれど
やっぱりその猫も、調子が悪くなってからは普段よりさらに人目につかない所に行くようになった。
(家猫だったんで家の中のね)
人が猫のそばに行くと、そろそろと移動した。


毛並みは急にバラバラとして、
乾燥しているような湿っているような
とにかく今までとは違う触り心地になった。
目をちゃんと開けることもせず、
人が痛みに堪えてするような細い目をしていた。
横たわっても毛繕いをするわけでなく
眠るわけでもなくただそこで少し苦しそうに息をしていた。
デブで相当な大飯食らいだったのにも関わらず
何も食べず、食事の匂いを嗅ぎつけて食卓に来ることももちろんなくなった。
ちょうど帰省してきた姉(拾い主)は、
涼しくて人目につかない場所にいる猫のそばで漫画を読んでいた。


姉が帰った後に猫は病院で死んだ。
病院からの電話は私が受けた。
段ボールに花とアイスノンと一緒に入れられた猫を病院から母と私で引き取り
その時既に引きこもっていた父にその箱を見せた。
父は母が最初に救急車で運ばれた時のように
寝ぼけたような狼狽したような様子で
死んだのか、とかなんとかそんなようなことを小さい声で言いながら猫の腹のあたりをさすった。
その夜、母と一番涼しい場所に段ボールを置いて
2人でそれを囲むようにして大泣きした。
最後には2人とも床に寝転がっていた気がする。
私はその時なんでかコンポにstan getzとjoao gilbertoの、the girl from ipanemaが入ったアルバム入れて際限なくリピートさせていた。
なんでか、と言えばその時
猫の写真を撮りたいという欲求に駆られ
(なんかこれが転機で写真を撮るようになるんではないかとすら思った)
デジカメを買いに電気屋へ連れて行けと母に迫った。
もちろんその申し入れは却下されたので
しかたなく絵を描くことにした。
後日その絵を見た兄には
なにこれもっと写真ぽく描いたのかと思ってたのに。
なんかルノワールとかあっち系っぽいね。俺よくわかんない。
と言われた。
母はその絵を、猫がよくいたキッチンのサイドボードの上に飾った。
母は何度か絵の上下を逆さまに置いたので
その度私は逆だと主張した。
そしてその絵は誰に見せても、テーブルの上に載せているのにも関わらず上下逆さまに鑑賞された。
時には言わないと猫だとすぐにわかってもらえない。



あー最初書こうとしたこととどんどんずれていった。
母が昔飼っていた猫はタマという名前で
数年放浪して忘れた頃に帰ってきたりしたという
猫らしい猫だったそうな。
引っ越した家についてこなくて
たまに新居にきてもすぐにどこかへ行ってしまったらしい。
そんなかっこいいタマは、冬のある日掘り炬燵の中で中毒を起こしたらしく、そのまま死んだ。
たぶん猫としては一生の不覚だと思われる。


うちで飼っていた猫は今考えると本当に可愛い顔をした猫で
猫っぽい、人を小ばかにしたような気品ある聡明そうな大きい目をしていた。
正面から見ると自尊心が高そうな強くしっかりした目付きで
薄目を開けて日向ぼっこをする横顔なんかを盗み見ると
哲学者のような、という陳腐な表現が似合う深みのある威厳たっぷりな雰囲気があった。
デブだし臆病だからかっこよさには欠けていたけど
それはそれで愛嬌になった。
飼い猫を見て「猫はどんな猫でも可愛い」と思っていた私は
飼い猫が死んだ後はじめてブサイクな猫もいることに気付いた。
親バカだから、今でもあんな可愛くて賢そうな猫はいないと思っている。
ああいう猫にまたいつか会えるかしら。