最後に書いた日記をチラ見して、忙しくなる週、と言っていたのを思い出した。
たしかに働いてるっぽい週だった。


私はバイトでも学校でも会社でも、そういう場所では常に「お昼」を労働(学校は違うけど、でも奨学金の書類を揃えていた時におかんが言った「1年にウン十万。すごいね、学校に行くことでこれだけ稼いだってことと同じだよ。」という台詞を思い出す。ま、借金の片にソープ嬢、という捉え方もあるけど。)時間の真ん中に置く意識を持ってきた。
暇だと、バイトならば「出勤してから1時間過ぎた・・から、今1000円稼いだか。」とか、やたら時計を読んではお金に換算することで自分を励ましたりするじゃない。
給料は我慢代、とは美輪黒蜥蜴様の言葉。
そんな時計がお目目の恋人な時間を過ごしている時、大きい慰みになるのがお昼。
いくら大飯食らいだからと言って、別にご飯を食べられるから、それだけがお昼のメリットではない。
お昼はその日の真ん中だから、お昼までこぎつければ、
「ああやっと半分。てことは、あと半分で今日が終わるわけね」
と思える。


でも実際には、10時から始まる会社で働いていればたった2時間でキリストが光来してしまい、残りは半分どころか倍の4時間もあるわけだし
8時やら10時から始まる学校でも、お昼以降から帰りまでの労働時間はやっぱりB.H.(=B.Cの要領で、before ohiru。お昼以前。)より長い。


で、お昼の時間が個人の裁量に委ねられている今の労働先では
お昼を後に後にずれ込ませることに少しだけマゾヒスティックな喜びを覚えている。
お昼が遅れれば遅れるほど、A.H.(説明はいらない)の時間が減る。
全体の時間に変動があるわけはないんだけど、
お昼は遅い方がいい。
たまに12時台に「お昼」ってしまうと、なんか損した。って気分にすらなる。
思い込みが激しい性格であることを実感する。
もう少しポジティブな使い道を模索するべきだとも思うけど
お昼が3時過ぎだった時は「あと3時間じゃん!フッフー!」とウキウキになれるから、バカだけどまあいいんじゃん