久々だと思ったけど、そうでもないな。先月(10月が、もう先月になってしまったわけだけど)書いてるし。


最近忙しくて、先々週からずっと家に着くと日付変わってる状態が続いてる。
気付けば会社に残るは私1人、なんて時もある。
とてつもなく忙しい人ばかりの会社なのでこういうことは珍しい。
暇よりいいけど、前のバイトで培ったはずの、時間を決めてその範囲内で作業を終わらせる。ということをちゃんとやらんとダメだなと思う。
要領が悪い私。


そんなわけで忙しいがために毎日いつでも眠い。
でも大学の先輩の取引先との合コンに借り出されて「・・なんかのバイトこれ?」と思ったり
昔の友達の美大の学祭に行ったり
大学の友達・高校の友達と会ったり
一駅先の店で働いてる友達をレジの列から眺めつつニヤニヤして買い物して帰ったり
ジムに細々通ったり
まあまあな日々。


家につくと12時過ぎ、という状態が続くと
さすがに前ほど映画は観られないけど、それでも大学の時よりは観てる。
ただ流し流し観ている感があって意味ないけど・・


そう、先月いとこに子供が産まれて、その数日後おばあちゃんが死んだ。
いとこやその周辺は、
「この子が産まれたらおばあちゃんが死んじゃう気がしてた。
 生まれ変わりみたいな。」
と言っていて
私はそれを聞いた瞬間、んなアホな、と言わんばかりに笑ってしまったんだけど
すぐさま周りの真剣な面持ちに気付き笑いを止めた。
なんだみんなロマンティックに生きてんだな、と思った。
お兄ちゃんにそれを話したら、
お前はそういう現実主義だからな、と苦笑された。
一緒に暮らしていて思う、兄の方がへんな幻想を抱いていることが多いと。星占いとか信じたりするし。
30過ぎてるくせにきもちわりーなと思うが、もちろん口にはしない。


おばあちゃんが死んだ時にも、おじいちゃんの時とは違って
何度も寝顔を見ていたので
家で「遺体」となった姿を見てもおじいちゃんの時ほど涙は出なかった。
死ぬことはもう分かっていたから。
理由も分かっていた。
分からなかったのはそれがいつ起こるかというだけのこと。
それが起きた当事者に近い人ほど、涙の流れる量は少ない。
感情の振れ幅によって涙は流れるんだと思う。
悲しいけど、覚悟はできていた。
もう顔を見て話すことは絶対に出来ないけど、
おばあちゃんと話したことも、してもらったことも、顔も覚えている。
だから、死んだからってなんだって言うんだ。
何も変わらない。
亡くなる数日前、病室で2人でいた。
私が行った後すぐに個室へ移されたおばあちゃんは、もうその数日前から意識はなかった。
最後に話したのって、夏に帰った時か、とか思いながら
枕からずれた頭を直したり、クリームを顔に塗ったり、唾液を拭いたりした。
冷たい手を握って近況を話した。
誰だか分かるように「ハナコだよ、おばあちゃん」とかよくドラマやなんかでやるけど
そんなことは恥ずかしいので、ただ近況を話した。
昔電話で話す時にも、おばあちゃんの方から私の名前を言うまで待った。
聴覚が一番最後まで残る五感だと聞いたことがあるので
こうやって話してみたんだけど、本当に聞こえてたらきっとおばあちゃんは
「へえ」とか「そうかい」とか「すごいねえ」とか「えらいねえ」とか適当な相槌を打ってたんだと思う。
おばあちゃんはいつもそういう感じで、いつもニコニコしてた。
明らかにおかんとは違う性質の人。
優しい笑顔をする人だった。
お葬式で、その笑顔にそっくりの優しい顔をした人を見た。
おばあちゃんのお兄さんらしい。
戦争の時には3回も南極に行っていたらしい。船乗り。
5人目でやっと生まれた女の子だったおばあちゃんは、みんなに可愛がられて育ったらしく
「あんまり自分の足で歩いた記憶がない」
と言っていたくらいだった。
それだけ皆がだっこしたりおんぶしたりしていたらしい。
おばあちゃんと同じ優しい笑い方をするその人は、
おばあちゃんが学校で胃を痛める度おぶって家まで送り届け、また自分だけ学校まで戻ってきていたらしい。
「おばあちゃんの家系はみんなああいう優しい顔だよ」と、おかんと伯母が言っていた。
歳の近いいとこが6人揃っても、やはり「すごいおばあちゃんに似てたね」と言って盛り上がった。


そういえばおばあちゃんが入院して食欲も減退した時、
それを見かねたお兄さんがお見舞いにきてくれたことがあるらしい。
一番仲が良かったお兄さんなので、おばあちゃんも喜んだとか。
「肉でも魚でもなんでも食べなきゃだめだ」と諭され、その日から
「○○ちゃん(お兄さんのあだな)に言われたから食べる」と言っておかんと伯母も驚いた。

だけど、お兄さんがお見舞いに来るのを知らなかったおばあちゃんを驚かせようと
伯母がおばあちゃんに「お母さん、今お母さんが一番会いたい人が来てくれてるよ。誰だと思う?」と言うと
おばあちゃんはものすごく考えた後で
「うーん、○○。」
とおかんの名前を言ったらしい。
その話を聞いた時私は大笑いした。
そして、おばあちゃんはおかんを一番頼りにしてて、可愛がってたんだなと思った。
一番そばにいたもんな。
そしておかんの次に一番長く近くにいたのは、伯母でもあるし私でもある。
可愛がってもらった。
「○○(私)がおむつを替えにきてくれたんだよ」と嬉しそうにおかんに話したと聞いたこともある。
もちろんそんなことはしてないんだけど、夢かなにかと混同していたらしい。
夢の中でもばあちゃん孝行なんて大したもんだ、とおかんと笑い合ったけど
後悔といえば孝行が足りなかったことに尽きる。
人が死ねば、皆が「ああしておけばよかった」「もっとこうしておけばよかった」と思って悔やむ。
死んだ後だからそうなる。
だから、私はおかんに親孝行をするよう心掛ければいいんだと思う。
おばあちゃんが可愛がって育てた娘の1人だから。
喪主、式の施主を務めたおかんが精進落としと式の席で挨拶をした。
人前で泣くなんてとんでもない、と書いてありそうな顔で参列者にお礼の言葉を述べていた。
途中声が震えてもまっすぐ前を向いて話した。
それを見ながら、「施主・○○より、ご挨拶の言葉がございます」という葬儀場の人のアナウンスがおかんの名前を言うのを聞きながら
父親は何をしてんだろうかと情けなくなった。憤りも感じた。
でも立派に挨拶するおかんを見て、よくやった!偉い!と言って拍手したくなった。
精進落としの時には、近くに座っていたので一瞬おかんと目が合った。
その瞬間、おかんは式の挨拶で「母・○○の告別式にお出で頂き・・」とおばあちゃんの名前を言う時にしたように声を震わせた。
でも泣かなかった。
赤くした目でちゃんと前を向いて最後まで挨拶した。
頑張れ頑張れ、泣くな。と言う私の顔に気付いたんだと思った。
おかんのことを誇らしいと思った。
式の日がお兄ちゃんの誕生日で、20日がおかんの誕生日だった。
ふざけた名前でお花を贈りました。
花より団子のおかんだけど、たまにはいいだろうと思って。
今度は図書券でも贈ろうと思う。